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MOTHER'S DAY [MAMA]

今日のメンテは長かったですね。
昨日の夜もだけど、メンテ後も相変わらずのやや重ぶり。

さて、5月14日は母の日でしたが、みなさまいかが過ごされましたか?
土曜日から実家に帰っていたワタシは、とりあえず花束を持っていきました。
そして、日曜日には食事に出る予定でした。

が!

当日になってから母が「出かけたくない」と言い出した。
気まぐれな母にはよくある事なので、まあ本人がそういうなら…と実家でお昼を食べ、テレビを見て…。
山の番組で高山植物が映り、母が「何ていう花だろう?」というので「雑草」と答えてみた。
すると、「雑草じゃないわよ」とピシャリ。

ママ、シャレだよ…。先週のママの真似っこだよ…。

と心の中で呟いてみるワタシなのだった。
まあ、そんなフツーの日曜日をのんびりと過ごしていました。

が!

16時過ぎてから急に母が「やっぱり出かけようか?」と言い出した。
♪娘さんよく聞~けよ・・・・・・・・・・・・・ママの心はよ~おぉ、山の天気よ~♪
と胸の中で大声で歌っていた。でもま、母の行く先はひとつ!日本橋高島屋だしな。
慌てて支度をして2人で家を出ました。

デパートについて、母が色々見てまわるのにつきあいつつ、欲しがっているモノをチェック。
でも、「じゃあ、それ買ってあげるよ」というと「そんなに欲しくないからいい」という。
だからこそ、自分じゃ買わないだろうからいいじゃない!と言っても「今日はいい」という。
そうなのだ。
母の誕生日は4月だが、まだプレゼントを贈ってない。
彼女は自分の欲しいモノ以外はたとえプレゼントであっても、容赦なくつき返すことの出来る人。
子供の頃から「こんなのいらない…」と何度言われ続けてきたことか(-_-;)
なので、一緒に買い物に行って欲しいものを買うようにしているのだが、これがなかなか決まらないの!
結局、昨日も決まらずじまい。
そういや12月にマフラーを買ってあげたこともあったよなぁ。。。

せっかくだから夕食にちょっといいものを食べようかと思ったら、やはり乗り気じゃない様子(笑)
結局は、COREDO日本橋のピッツェリアDA CIBOでナポリピッツァ。
平日だと混んでることが多いこの店も、今日はすんなり入れました。
モッツァレラチーズベースのクワトロフンギ(4種のキノコのピッツァ)とトマトベースのマルゲリータ、
それに、ミックスサラダとビールでお腹いっぱいに。
トマトソースがトマトそのままのフレッシュさでとても美味しかった。

が、食べ終わるなり母が、

「今度シンフゥで食事しようよ」

という。
シンフゥ=XingFu星福は銀座にある中国薬膳料理のお店なのだが、以前話題が出ていたので、
母の日の食事にこの店に行こうという事前のワタシの誘いを断ったのは母だ。
♪娘さんよく聞~けよ・・・・・・・(T_T)
しかも、今日のピッツァは母の日のディナーとしてはカウントされてないようだった(-_-;)

はいはい。かしこまりました。
全ては仰せのままに。
それが、母にとっては最高のプレゼントなのだろう、きっと。


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ドタバタのお引っ越し [MAMA]

土曜日はすごい雪でしたねー。
朝目が覚めてカーテンを開けたら真っ白だったので思わず「雪かよ~」と声に出して独り言。
そういや友人が土曜日は雪だと言っていたっけ。
夕方美容院を予約していたけど、どうせすぐ止むんだろうと思ってたらとんでもない。
次から次へと大きな雪が降ってきて、どんどん積もっていくじゃあありませんか。
ホント30分ぐらい、ただひらすら雪が降るのを眺めていました。
まあ平日じゃなくてよかったよね。朝の通勤とかとんでもない事になりそうだしな。

ってか先週じゃなくてホントよかった~。
というのも、先週の土曜日は母の引っ越しだったのです。
ソネブロサーバー不調のためご報告が遅れましたが、実家に帰っていたのはそのためでした。
まあ引っ越しといっても、真上の部屋への移動なんですけどね(^_^;)
母の住んでいるアパートは1階が大家さんご夫婦が営むお店と住居、2階の半分は下から続く大家さんちの2階部分で、その隣の1部屋と3階の2部屋が賃貸スペースになっていて、母の部屋は2階でした。
でも昨年大家さんのご主人が亡くなられたので、奥さんが1人で暮らし、お店も閉めてしまいました。そこへ今回息子さん夫婦が同居することとなり、そのため1、2階部分を全て大家さんの家としてリフォームすることになりました。それで、母が3階へ移ることになったというわけです。
アパートは階段だし、母も一度膝を悪くしているので3階はどうかな、と思ったんですが、今回のために3階も全面リフォームがなされ、壁紙、襖、床の張替えのみならず、キッチンとお風呂も新品になり、まるで新築同様です。しかも家賃は変わらずその上引っ越し代ももってくれるというのです。
最初は母も別のところへ引っ越そうかと考えていたようですが、ピカピカのキッチンやお風呂を見てすっかり気が変わったようでした。
昨年のうちに工事は終了していたので、日頃使わないものや軽いものなどはちょこちょこと母が自分で運び込んでいるようでした。金曜の夜に行った時には「もうほとんど片付いてるから何もしなくていいよ」なんて具合でした。

いよいよ当日。午後一で業者さんが来るというので、

「じゃあ午前中にまだ棚に入ってるモノをダンボールにつめちゃおうよ」と言うと、
「やらなくていいよ」と母。
「なんで?」
「だって、全部持ってかなくても後で少しずつ運べるから」

って、なんですと!?いや、言いたい事はわからなくもないが、業者さんってなんとからくらくパックみたいのでも限り基本的には「運べる状態になった荷物」を運んでくれるんじゃないのか?しかも、大きな家具を出すのに、色んなものがあちこちに置いてあったら仕事が捗らない、いや明らかに迷惑なんじゃ?
と思ってそのままを伝えてみたが、何故かがんとして聞き入れない。
そして、業者さんに何から運ぶか聞いてから片付けるという。
いやでも、せめてテレビ台の中のアイロンとか、サイドボードの中の写真とかは箱につめておこうよ、と勝手に始めたが、なぜか大層お気に召さない様子だった。
いや~な予感がしたので洋服ダンスを開けたら、オーマイガッ( ̄□ ̄;)服が全てさがっている。

「な、なんで?なんで何もやってないのっ?」とビックリして叫んだら、
「だってシワになるから」
「ええ~」

つまり母の言うところのほとんど片付いてるっていうのは、今使っていないもの・うっかり汚されたくないもの・シワにならないもの・軽いもので全てであったようだ。
慌てて部屋のスミに物干し竿を渡して全ての洋服を出しているところへ業者さんがやって来た。
今の今までテレビ見てました♪みたいな部屋を見て「あれ?」という顔をしている。

やっぱりそう思う?そう思うよね。

母が「何から運びますか?」といそいそ聞いたら「どれでもいいです」と一言。母も黙ってしまった。

ああ~やっぱり。やっぱりだよね。

「とりあえず、キッチンからお願いします。荷物が片付いてないですけど、全部きっちり引っ越すわけではないので、とりあえず家具と家電の大物を運んで下さい」

ってことでとりあえず運搬作業がスタートした。
その隙に部屋のコタツだの何だのを一気に片付け、通り道とモノの置場を確保。
すると母がちょこちょこ小荷物を持って3階へ運んでいくではないか。そんなもの部屋にどんどん持ち込んだら、大きな荷物が運べなくなる~(T_T)と慌てて止めた。
業者さんは若いお兄ちゃんと年配の人の2人組みで、若い人の方がちょっと偉そうだった(笑)でも、お兄ちゃんは片付いてない部屋も「これどうします?」とか色々聞いてやってくれて、かえってこっちが恥ずかしいぐらいだったが、年配の人は明らかに面倒がっていた。しかも、大量に竿にぶら下がったままの服を母が「これ運べないの?」と年配の人に聞いて「ムリ」と却下されていた。
この辺りで母もやっと何かを感じたのか「ダンボール作ろうか」と言ってきた。が、今さら邪魔になるのでもういいよ…とそっとあきらめてもらった。
おまけに途中から雨も降ってきて、外階段には最上階のため屋根がないため濡れながらの運搬となった。お兄ちゃんは我が家の中途半端な荷物をなるべく濡れないようにタンスを包む布などで覆いながら運んでくれたが、年配の方はそんなのお構いなしだった(-_-;)紙製の収納ボックスとかびしょびしょになってたのにはちょっと「えっ?」と思ったけど、ほどなく全ての運搬が終了したのであった。

とりあえず今日明日で使わないものは母が自分で運ぶというので、部屋を片付け、夕方にはやっとお茶で一息つけた。
壁紙も襖も真っ白だし、新しいカーテンもいい色だね~なんて言ってはみたものの、同じ間取りに同じ家具。とても引っ越したとは思えない(爆)

しかし、母はなんでこんなに何も知らないのだろう?
ってか、私が子供の頃に2回、母が1人になって2回、計4回も引っ越ししてるのに。
そいうや子供の頃は必ず誰かが手伝ってたよなぁ。でも母1人で引っ越ししたやつは…そうか、いつも今回みたいな感じだったのか…、と初めて気がついたワタシ。なんかものすごく心配になって、

「電気とかガスとかの手続きしたの?」
「もう全部やってあるよ」
「…でも、電話通じないんだけど…」
「なんで?電話線きてるのに」
「…」

本気で気付かなかったらしい。いくら上でも移転には変わりないのだよ、ママ。
慌てて電気もとりはずして真っ暗になった階下へ電話を持って行き、NTTに連絡しましたとさ。
ふぅ~やれやれ。

翌日、延長コードやらタップやら色々と購入。
配線をし直して、延長コードを壁に這わせてステップルでとめて、電球換えて…。
と文字通り「日曜大工」に精を出し、電化製品の時計を合わせ、ガス湯沸し器のリモコン操作のレクチャーをしてやっとお役御免となったのでした。


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職安にて [MAMA]

母が職安へ行ったときの話。

職安ときいて、「えっまだ働くの?」と思わず叫びましたが、「違うわよ。失業保険もらうの」ということだった。なるほど。それにしても、失業保険出るんだ…とそっちもちょっとびっくり。

写真と身分が証明できるものを持参するとのこと。
免許証は持ってないし、パスポートは期限が切れている。
住民票の300円をケチろうとして、「期限の切れたパスポートでもいいか?」と電話で確認したところ、
かなり待たされたけど、それでもいいと言われたそうだ。
そして、当日。パスポートを持って家を出た母は、別の担当者にダメと言われたら面倒だと思い直し、
結局住民票をとりに寄った。っていっても、区役所の出張所が母の家のはす向かいにあるんだけどね。

そして、職安へ。
準備してきた写真と住民票を提出。
でも、ダメだった。
何を血迷ったのか、母は今年のお正月にとったスナップ写真を持っていったそうだ。

母:これじゃダメなんですか?
係:ええ、切りますので…
母:ああ、これ焼き増しするから、切っていいですよ
係:いえ、あの、そうじゃなくて、大きさが…

その写真私が撮ったものだが、母1人が胸から上をアップで写したもの。
たいてい、証明写真は3×4だもん。それじゃ、顔しか入らない。

係:それに、写真は2枚いるんですよ
母:えっ?そうなの?じゃあ、これ使って下さい

と言って、母が出したもの。
そう、それは家を出る時カバンに入れた
パスポート
だった。

いえいえ、それは、できませんから~と係の人は大慌てだったそうだ。
だってさ、係の人はこのパスポートが期限切れてるって思ってないわけだからさ~と爆笑しながら話している母を見て、そうゆう問題じゃ…とただただ係の人を気の毒に思うしかなかった。
期限切れのパスポート、それって10年以上も前の写真だよね。

どー考えてもおかしいから、それ。ってか、かなり面白いぞ、ママ。

「だって、写真としか書いてなかったから、全く思いつかなかった」んだそうだ。
写真屋さんにいかなくても、ママの駅に証明写真をとる機械が置いてあるという話をすると、

「うん知ってる。前に職安行った時あそこで撮ったから」

知ってたんかいっっ!とすかさず心の中でツッコんだのは言うまでもない。

母は、せっかくそれなりの知識や経験があるにもかかわらず、思い込みの激しさとせっかちさ、それに常に自分は正しいという確固たる自信により、結果的にはただのおっちょこちょいで終わる事が多い。
その上、人の不幸も笑い飛ばすという根っからの楽天家なので、気をつけてといっても無理のようだ。

そういや子供の頃、学校に提出する書類の私の名前を書く欄にいつも自分の名前を書いていた母。
住所欄に名前を、名前の欄に住所を、なんてのは今でもしょっちゅうだ。
私はそれがいやでいやでたまらなくて、必ず書いている横にいて「そこは私の名前」と念を押していた。
あれは、高校の入学時に出す、正式な書類の時。
同じように「そこはママの名前じゃないからね。○○(私の名前)だからね、○○」と連呼していると、

「うるさいなあ、もう間違えるわけないでしょ!…あっママの名前書いちゃった。あははは~」
「…(-_-;)」

今となっては懐かしい思い出ですけどね。


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立つ鳥跡を…【長文必至!ご注意下さい】 [MAMA]

とうとう母が引退した。

こう言ってはなんだが、私の最も恐れていた日が来てしまったわけだ。
前にも書いたけど、ウチは母ひとり子ひとりなので、母がひとりで私を育ててきたように、
これからは私がひとりで母の面倒をみていくことになるのだ。
詳細はすっとばすが、私は年齢に見合った、いわゆる「安定した生活」を送ってる人間ではない。
こんな未来を予測していたのか、母は自分の老後をガッチリ見据えてきたタイプの人なので、取り急ぎ私が何かをするという必要はなさそうである。できた母親をもって幸せだ。

「立つ鳥跡を濁さず」というが、それは母にはあまり関係ない言葉のようだ。
かといって「後足で砂をかける」ということではもちろんないのだが…。

母は前職を退職したのち、神田にある某蕎麦屋でパート勤めをしていた。
契約期間は来年の3月いっぱいであった。
だが、ある夏の日、母が突然
『ママ、10月いっぱいで辞めるから』
と言ってきた。母は70まで働く!と豪語していた人間だ。それは無理だろうが、あと半年で引退なのに。
「どうして?あとちょっとなのに…」
というと、
『だって、年末は大変だから、もうやだ』
と言うのである。
そう、蕎麦屋は「年越しそば」というイベントにより、12月31日の夜遅くまで営業している。
母の仕事は店の裏方、つまり「まかない」で、しかもその「補助」という、たぶん一番楽であろうポジションだった。だが母が言うには、年末に向けて通常の営業時より増員され、まかないの仕事量は2倍にも3倍にもなるのだという。

このへんが母と私の違うところ。
私なら「最後のご奉公」と思って、がんばると思う。たとえ、いやでも、だ。
でも、母はあと少しならいいか、という感じで熱が冷め、面倒になってしまうタチのようだった。

しかも、すでに事後報告。お店にはもう言ってしまった後だし、母の人生だ。
「好きなようにすればいいよ」と求められてもいないがとりあえずコメントしておいた。
そういやこのヒト、前職の正社員で働いていた会社を58歳で退職したんだった。
やっぱり、事後報告で。この時は相当たまげたけどね。そしてやっぱり言ったよ。
「あとちょっとで定年なのに」って。
もちろん、理由はあった。勤務地が変わり通勤時間が片道30分増えたし、年のせいで膝も悪くした。
辞めると言い出した時には治っていたが、母は思い込みが激しく、せっかちなのだ。
さすがに、利にさとい母のこと、退職金の違いについてはしっかり計算済みではあったけどね(笑)
さて、それはさておき、
そして、10月も終わりに近くなったある日、「あと2日になった」と母と電話で話した。
私は公私ともに忙しくしてたし、すぐに報告の電話をかけてくるだろうと、こちらからは連絡しなかった。
でも、11月になっても全然電話がこない。ちょっと「あれ?」とは思ったが、残業やら発熱やらで放置してしまった。やっと、連絡が来たのは11月3日になってからだった。

「ごめんね。ママの最後の日だったのに連絡もしないで。どうだった?」と聞くと、
『ママ、行ってないの』
「え?」
『最後の2日、休んじゃったのよ~あはは~』
「えー!なんで?ってか、あと2日って電話で話したっきりってこと?」
『そう』

聞けば、電話で話した翌日、朝起きたらとても気分が悪かったのだという。日曜だったし、めまいもしたので病院にも行かず寝ていたのだと。

「ええっ?大丈夫なの?どっか悪かったの?」
『わかんない。夜にはすっかり治っちゃったのよ~』
「じゃあ、最後の日は行けたんじゃないの?」
『そうだけど~、病院行きたかったしさ』
(母の出勤時間は15時だ。病院寄っても十分間に合うはずである)
『なんか、めんどくさくなっちゃって』
(やっぱり…か)
「で、医者はなんだって?」
『何も。精神的なものでしょう、って薬もくれなかった。もう、何ともなかったしねぇ(笑)』

きっと、それは真実だろう。もうすぐ「仕事が終わる」という事は、もう働きたくないと思ってはいてもずっと仕事をしてきた母にとっては不安だったのだろう。それを、認識する前に体に出てしまったのだろう。
…というようなことを、母に電話で話したが、もう全く聞いてはいなかった。そして、
『でさ、どうする?どこ行く?』と、いつものように、約束もしていないのに当たり前のように言われた。
「いや、ごめん。今日、熱があるから1日寝てる」というと、あきらかに不機嫌そうな声で、
『あっそう』と一言。じゃあ寝るから、と電話を切ろうとすると、
『でね…』と、その後のお店のことを語り出した。

お店で働く人たちには、パートさんもいるので、毎日同じ顔が揃っているわけではない。
31日に入らない人は、30日に母への餞別としてお花やらお菓子やら、用意して下さってたという。
もちろん、31日に入る人は当日同じように用意して下さっていたのである。
だが、二日とも母は来なかった。
皆さん、本当にありがとうございました。そして、大変失礼いたしました。
それもさることながら、母は雇い主である旦那さんや女将さんにも挨拶なしで退職となってしまっていた。
なので、取り置いてくれているという餞別の品を受け取るべく、そしてお世話になった旦那さんたちにご挨拶するべく、母はもう一度職場へと出向いていった。
ところが、11月1日から家族旅行にお出かけとのことで、またもや挨拶できなかったのだ。
いやはや、本当にすみません。

そして翌日の4日、ご家族の帰宅にあわせてもう一度6日に挨拶に行くと母から電話がきた。
挨拶がすんだら、母の友人ら数人とお客としてお蕎麦を食べるのだ、という。
私も母が在職中に一度はお店に行こうと思いながらそのままだったので、ご挨拶がてら母たちと同行することにした。
が、その翌日5日の夜に母から電話があり、
『なんか雨みたいだからやめるわ』という。
なんですと?私にもそれなりに予定があったが、万障繰り合わせて時間をとったのに・・・。
いや、ご友人の皆さんの都合はどうなるの?と驚いたが、まあ母の行動は毎度この通りなのである。
---思い立ったが吉日---
私を含めて、あえて異議をとなえる人間など居ないのだ。だって、聞いてないし。

とまあ、そんなこんなで7日の月曜には、やっとご挨拶ができたようだ。
こんな風に職場を去っておきながら、女将さんには某ブランドのハンドバッグを、大女将さんには財布を頂戴したのだそうだ。これも、母の人徳なのか?女将さん方、気前が良すぎですからー。
しかも、大女将さんから戴いた財布には、現金2万円が入っていたそうな。やる事が粋ですな。
いやしかし、これはホントに改めてお礼に伺わねば。 

母の引退は恐れていた日ではあったが、同時に小さな喜びがもたらされる日でもあった。
ああ、これでもう仕事帰りにウチにいきなり寄られることはなくなるんだなぁ、ってこと。
でも、甘かった。
11月に入ってから、母は毎日のようにウチを訪れている。
といっても、私が居ない時間が半数以上ではあるのが救いだが。おうちごはんに、よく母が持ち込む食材の事を書いてあるが、今日は明太子、今日は牛肉、と1日に1品という形で持ち込んでくる。
そう、つまりはヒマなのだ。しかも、まだ定期が残っていて交通費がかからないというところがミソ。
先週末も2日とも付き合うハメになった。
日曜は出かけない、と言っておいたにもかかわらず昼に電話がきて『で、何時にする?』ときた。
土曜日に「話す人も居なくて、口も聞いてない」なんて言われたら、断れないじゃないか。。。
定期が切れるまでの辛抱、と心に刻み、私の週末は幕を閉じた。

最後まで読んで下さった方、お疲れ様でした&ありがとうございました。
この記事は、こんな風体でまとめてみましたが、私にとってそれなりに感慨深いことでしたので、長々と書かせていただきました。これからは、ママネタも増えると思われますが、宜しくお願いしますm(__)m


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